森鴎外 声: 大川透 | |||
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武器 | 刃 | 派閥 | 余裕派 |
代表作 | 舞姫 | 高瀬舟 | – |
回想 | 舞姫 | 舞姫 | 坊ちゃん |
真面目で責任感が強い元軍医。誰に対しても優しい好人物だが稀に亭主関白なところも覗かせる。文豪としての悩みを打ち明ける相談相手として彼を頼る人たちも多い。医者としても頼られているが、その時には本名で呼ばないと機嫌を悪くしてしまう。老舗のあんぱんが好物。
モデルになった森鴎外はこんな人!
筆名:森鴎外
本名:森林太郎
出身地:石見国津和野(現・島根県津和野町)
生年月日:1862年2月17日
没年:1922年7月9日(満60歳没)
生涯
代々津和野藩の典医を務めた森家の出身。
幼いころから論語や孟子、オランダ語を学び、非常に学力が高い少年だった。
第一大学区医学校(現・東京大学医学部)には2歳年齢を偽り、12歳で入学を果たしている。
このころに漢詩や漢文を学び、和歌も作っていた。
卒業後は陸軍省に入省し、半年後には軍医本部付となっている。
1884年に軍からの命令でドイツ留学を行い、1888年まで各都市を歴訪。
1889年に『読売新聞』の付録に『小説論』を発表するほか、カルデロンの戯曲『調高矣津弦一曲』を共訳で発表。
この翻訳が認められ、作家としても活動を始める。
後には陸軍軍医総監にのぼり詰めつつも、東京帝国大学から文学博士の学位を授与されるなど、エリート街道と文学史上の栄光を両立させた。
作品の特徴
「余が病は全く癒えぬ。エリスが生ける屍を抱きて千行の涙を濺ぎしは幾度ぞ。大臣に随ひて帰東の途に上ぼりしときは、相沢と議りてエリスが母に微なる生計を営むに足るほどの資本を与へ、あはれなる狂女の胎内に遺しゝ子の生れむをりの事をも頼みおきぬ。」(『舞姫』より)
感受性に重きを置くロマン主義、またその派生である高踏派の作家。
小説だけでなく評論活動や翻訳者としても多くの業績を残し、啓蒙主義的な評論活動を行い、論争を巻き起こした。
また後進の作家の発掘にも非常に熱心であった。
人間関係
【田山花袋】
大きな影響を与えた作家。
軍人というつながりから、日露戦争期に親交を深めた。
【北原白秋】【石川啄木】【斎藤茂吉】
親交のあった歌人。
毎月1回開催された観潮楼歌会のメンバー。
趣味・嗜好
【甘党】
酒は飲めなかったが大の甘党。
焼き芋やあんぱん、汁粉などが好きで、饅頭の茶漬けも食べていた。
饅頭を4つに割ってご飯の上に乗せ、お茶をかけて食べたという。
【潔癖症】
細菌学や衛生学を修めて以来潔癖症になってしまい、果物なども過熱しないと食べられなくなってしまった。
果物を煮て、砂糖をかけて食べるのが好きだった。
【恋愛観】
ドイツから帰国後、『舞姫』のエリスのモデルになったと思われるドイツ人女性が訪日し、すぐに帰国している。
森はこの女性と文通し、生涯忘れることはなかったという。
代表作
『舞姫』
ドイツに留学した官吏の青年・太田豊太郎が、現地で出会った美少女・エリスに心を奪われる。
エリスは子供を身ごもるが、自分が太田の重荷になっていることを太田の友人から聞かされ、発狂してしまう。
自身のドイツへの留学経験と、現地での恋をモデルにしているとされるロマン主義文学の傑作。
『高瀬舟』
江戸時代の随筆集『翁草』の『流人の話』をモチーフにした小説。
貧苦のあまり自殺未遂をした弟を安楽死させた兄が、罪人として流刑に遭う姿を通じて、安楽死や社会への疑問を描く。
もっと詳しく知りたいなら?
文京区の記念館。